本文へスキップ

 〜 Welcome to Kurayoshi Grace Church's Home Page!! 〜

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に 聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りが その上にとどまる。 〜 ヨハネの福音書3章36節 〜

聖書のメッセージ【聖書が語る救い】(教会新聞)より

《目次》

●聖書について
●ルカの福音書19章1節より




聖書について

 現代、書店には毎日のように新しい本が並んでいます。しかし、その本がいつまでも書店に並び続けることは、大変まれなことです。五年残るものは千冊に一冊であり、一世紀残るものは五万冊に一冊もないと言われることもあるほどです。しかし、その中で聖書は、書き終えられてから二千年以上経っているにも関わらず、今でも世界のベストセラーです。では、このように時代や場所を問わず、多くの人が読んでいる聖書には、一体何が書かれているのでしょうか?

<聖書の書かれた目的> 
 聖書の書かれた目的について、聖書には次のように記されています。
 
『これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである』(ヨハネの福音書20章31節)
 ある人は、聖書は自分と何の関係もない書物だと考えておられるかも知れません。しかし、すべての人にとって、これほど深い関わりのある書物は他にはありません。なぜなら聖書は、すべてを創造され、あなたを生かしておられる、まことの神様の言葉であるからです。そして神様はこの聖書を通して、全人類が知らなければならない事実を示しておられます。

<すべての人は罪人である>
 
『義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない』(ローマ人への手紙3章10〜12節)
 まことの神様の前には、誰ひとり正しいと認められる人はいません。なぜなら、
『すべての人は、罪を犯した』(ローマ人への手紙3章23節)罪人であるからです。多くの人は、『神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず』(ローマ人への手紙1章21節)、まことの神様を無視して生きています。またそれだけでなく、心の中で悪いことを考えたり、実際に悪いことを行なっています。それらのことは、法律によってさばかれることはないかも知れません。またそれほど悪いとは思われないかも知れません。しかしそれらはすべて神様に対する罪です。聖書には、『もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった。」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方はおのおの、人の行ないに応じて報いないだろうか。』(箴言24章12節)と記してあります。神様は聖く正しいお方ですから、罪を必ずさばかれます。
 
『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている』(ヘブル人への手紙9章27節)
そしてさばきとは、死後の永遠の地獄でのさばきなのです。

<聖書の示す永遠の救い>
 しかし神様は、地獄でさばかれて当然の私たちに対して、
すべての人が救われて、真理を知るようになる
のを望んでおられます』(テモテへの手紙 第一2章4節
)。それ故、聖書を通してはっきりと救いについて語っ
ておられます。
『御子(イエス・キリスト)を信じる者はさばかれない』(ヨハネの福音書3章18節)
 神の御子でいらっしゃるイエス様は、私たちを救うために、人として約二千年前にこの世界に来てくださいま
した。  
『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま
受け入れるに値するものです』(テモテへの手紙 第一1章15節

 そして、神の御子でいらっしゃるイエス様が十字架の上で死なれました。それは
『私たちのそむきの罪のた
めに刺し通され』(イザヤ書53章5節)
た身代わりの死であり、『私たちを神のみもとに導くためでした』(ペテ
ロの手紙 第一3章18節)
。私たち罪人を救うために『正しい方(イエス・キリスト)が悪い人々(あなた)の身代
わりとなったのです』。(ペテロの手紙 第一3章18節)

 十字架上で死なれたイエス様は墓に葬られました。しかし、死後三日目によみがえられました。このイエス
様こそ、まことの神様であり、私たちを地獄から救ってくださる救い主です。ですから、イエス様を神様、救い
主として心に受け入れ信じる者は、
『だれでも、その名によって罪の赦しが受けられ』(使徒の働き10章43
節)、『ひとりとして滅びることなく』(ヨハネの福音書3章16節)
、神様のおられる永遠の天国に入る者とされ
ます。
 聖書はこのように、あなたの永遠について最も大切なことを語っています。どうか、神様の御前に自らが罪
人であることを認め、イエス・キリスト様を信じて、天国へ行く方となって下さい。


                                                       




ルカの福音書19章1節より

 あなたは、「自分はひとりぼっちだ‥‥」「たまらなく寂しい‥‥」「人は何のために生きているのだろう‥‥」
という思いに満たされ、孤独感を感じたことはありませんか。
 聖書の中には、次のような人が出てきます。
 
『それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取
税人のかしらで、金持ちであった。』(ルカの福音書19章1、2節)


 【 孤独 ・ 寂しさ ・ 空しさ 】
 今から二千年程前、ユダヤの国はローマ帝国の属国であり、ローマの支配下にありました。ローマ帝国は、
ユダヤから税金を取り立てるために、ユダヤ人を使いました。「取税人」というのはローマ政府から委託され
て税金を徴収する仕事をする人々でした。ところが当時の「取税人」というのは、集めるべきお金よりも多く取
立て着服していたのです。ザアカイはその取税人のかしらで、しかも金持ちだったのです。多くのお金を手に
することはできましたが、人々には憎まれ無視されていたことは容易に想像がつきます。
 
『彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。そ
れで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようと
しておられたからである。』(ルカの福音書19章3、4節)

 お金はあっても、真実の愛を知らないザアカイは、孤独だったのです。彼はお金を貯めることに人生の価値
を見出したように思えても、心は空しく、どんなにお金を貯め立派な邸宅を建てても、それで心が満たされる
ことはありませんでした。ザアカイが、そのような空しい孤独な日々を送っていた時に、イエス様はエリコの街
をお通りになったのです。彼はイエス様がどんな方かどうしても見たかったのです。それが、人目をはばから
ずに木の上に乗ってまでしてイエス様を見ようとした理由でした。
 『イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょ
うは、あなたの家に泊ることにしてあるから。」ザアカイは、急いで降りてきて、そして大喜びでイエスを迎え
た。』(ルカの福音書19章5、6節)

 イエス様は、取税人のかしらザアカイの心の中をご存知でした。そしてイエス様に声をかけられ、訪問を告
げられた彼は、今まで経験したことのない喜びを感じつつイエス様を迎えました。
 『これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。』(ルカの福音
書19章7節)

 しかし、イエス様のされたことは、人々には理解されませんでした。イエス様は、ザアカイを愛することによ
って人々からの非難を受けることになられましたが、気にもとめられませんでした。それはなぜでしょうか?そ
れは、
『人の子(キリスト)は、失われた人を捜して救うために来』(ルカの福音書19章10節)られたからです

 ザアカイはそれまで、自分の欲望を神として生きてきました。それは神様の目から見るならば、
『失われた
人』
であったのです。しかし、今や彼はそれを罪だと認めて悔い改め、イエス・キリストを信じて真の神様の元
に立ち返ったのです。

【 すべての原因 】 
 さて、私たちも自分の幸せを求めて生きています。ところが現実はどうでしょうか?様々な苦悩や問題があ
ります。その原因は色々でしょうが、しかし根本的な理由は、私たちが天と地を造られたまことの神様から離
れ、この方を無視して、自らの欲望を追求して生きていることにあるのです。神様から離れた人間は、本来の
生きる目的を失いさまよっています。そして、神ではないものを拝み、その思いは空しく暗くなっています。
 
『私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。』(イザヤ書53章6節)
 『彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、
その無知な心は暗くなりました。』(ローマ人への手紙1章21節)

 これは、造り主である神様に対する罪だと聖書ははっきりと宣告しています。そればかりか、自ら犯した罪の
故に、死後の永遠の地獄で裁きを受けなくてはならないとも語っているのです。
 『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている』(ヘブル人への手紙9章27節)

【 神様の愛と救い 】 
 しかし、神様は私たち人間を愛しておられます。それゆえ、私たちが神様の元に立ち返ることができるよう
に、すなわち私たちの罪を赦して、神様と永遠に生きることが出来るように、救い主を与えて下さったのです。
 神の御子イエス様が、罪人である私たちを救うためにこの世に来られました。そして、あなたを救うために
十字架にかかり、あなたの罪のさばきを全て、身代わりに受けて下さったのです。さらに死なれたイエス様は
、死後三日目に確かによみがえられ、ご自身こそ真の救い主、神の御子であられることを証明して下さいまし
た。
 このイエス様を、自分の救い主であり、まことの神であられると信じる人は、誰でも地獄から救われ、神様の
おられる永遠の天国に行くことができると聖書は約束しています。そればかりか、今生きている間も、真の神
様の愛と導きを受けて、本当に価値ある人生を生きることができるのです。その人生こそ、本当の希望と平
安に満ちたものです。
 どうか、イエス・キリスト様をあなたの救い主・神様として信じ、永遠のいのちを受けて下さいますように。
 
『神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネの福音書3章16節)



倉吉キリスト恵み教会

〒682-0804
鳥取県倉吉市東昭和町83−1
TEL/FAX  0858-23-4570